【希望】 難病患者が思うこと 【絶望】
日本代表にも選ばれたサッカー選手が、難病に。
病とどう向き合い、何を選択したのか?
伝えたいこととは?
番組名 : 健康カプセル! ゲンキの時間
テーマ : 経験者から学ぶ! 難病との向き合い方
放送日 : 2021年10月31日(日曜)

□ 難病とは

さあ、今回のテーマは何でしょうか?

「難病」について。
Q : どんな病気を、難病と言うの?
単に 治りにくという意味だけではありません。
→ 定義は、以下の4つ。
(1) 発病の機構が明らかでない。
(2) 治療方法が確立されてない。
(3) 希少な疾病である。
(4) 長期の療養を必要とする。
(2014年に「難病医療法」が成立。2015年には、施行されている)
このような傾向があるため、経済的な問題、介護の問題、精神的負担、などが生じてしまいます。
その支援のため、難病法が作られた。
前編では、サッカー選手の体験を紹介します。
<Jリーガーを襲った難病>
サッカーが好きな人は、この名前を憶えているのではないでしょうか。
望月重良(もちづき しげよし)
1996年からは、名古屋グランパスエイトで。
2000年からは、京都パープルサンガで。
2001年には、ヴィッセル神戸で。
2003年には、ジェフユナイテッド市原とベガルタ仙台で。
このように、J1で活躍したプレーヤーです。
静岡県出身。現在 48歳。
日本代表にも選出されており、国際Aマッチ 14試合に出場。得点も奪っています。
サッカー街道を邁進していた望月選手ですが、2004年、30歳の頃、異変を感じるようになりました。
股関節が、おかしい。
しかし、サッカー選手には、捻挫やヒザ痛など、脚に関する痛みはつきもの。
当初は、別段 気にしませんでした。
最初、休めば取れていた痛みでしたが、だんだん取れにくくなってきた。
そのうち、股関節の激痛で、眠れない日も出てきたという。
原因がはっきりしたのは、2005年、キャンプに入る前のメディカルチェックの時だった。
病名は、「突発性大腿骨頭壊死症」。
難病であることも、告げられました。
なんで、自分が?
望月選手は言葉を失い、動揺した。
<突発性大腿骨頭壊死症とは?>
股関節の大腿骨に、「大腿骨頭(だいたいこっとう)」という部分があります。
大腿骨の頭の部分で、骨盤に収まる球状の箇所。
そこの血流が 一部 途絶えることで、骨組織が壊死してしまう病気です。
その後、壊死した部分に体重がかかると、脆くなった骨が潰れて、痛みが出るようになる。
(壊死自体で痛みは出ず、潰れることで痛みが発生する)

血行障害 → 栄養分が摂れない → 骨の一部が壊死 → つぶれやすくなる
骨が潰れるわけだから、当然、痛い。
症状としては、
初期 : 歩く時や階段を上る際に、痛みを感じる。
進行時 : 安静にしていても、痛む。
また、30歳から 50歳の人に多く、1年に 2千から 3千人が 発症するという。
多くは原因不明ですが、アルコールの愛飲暦や、ステロイドの大量投与に関連することも少なくないという。
治療法は、大きく分けて 3つ。
[1] 保存療法
→ 骨が潰れないように、松葉杖を両方使って生活する。
→ できるだけ体重をかけないように、心がける。
→ 体重を管理する。
[2] 骨切り術
→ 自分の関節を残す手術。
[3] 人工関節置換術
→ 人工骨頭や人工関節に置換する手術。
望月選手は、原因不明でした。
そして、手術は選ばなかった。
まだ フィールドでプレーしたい! このままでは終われない!
そんな気持ちが勝ったのです。
お医者さんから与えられた時間は、2年でした。
辛いリハビリにも耐え、復帰を目指す。
難病の告知から 9か月後、ついに その時が来ました。
J2公式戦に、2試合出場。
その時 受けた衝撃は、プロデビュー戦と同じくらいだった。
と同時に、やり遂げたと実感し、プロとして完全燃焼できました。
そして、2007年。現役を引退して、難病を公表したのでした。
その後も、手術はせず、体調管理しながら、病気と付き合っているとのこと。
・ 股関節に負担がかからないような生活。
・ 体重のコントロール
・ 股関節や腰の、柔軟性維持。
これらを心がけている。
選手を引退しても、望月さんの人生は終わっていません。
2008年には、望月さんが中心になり、「SC相模原」を設立。
まさに、一からのチャレンジでした。
(貯金を切り崩したそう)
県3部リーグから始まり、2010年に Jリーグ準加盟クラブに承認された。
2014年には Jリーグに加盟し、J3 に参戦。
2021年には、J2昇格を決めたのでした。
SC相模原。
ホームタウンは、神奈川県相模原市、海老名市、座間市、綾瀬市、相川町。
マスコット・キャラクターは、ガミティだ。
厳しい戦いが これからも続きますが、J1 昇格を目指す。
望月重良さんの想い。
「辞めたくなかったサッカーを、病気で辞めざるを得ない状況になり、すごく辛かった時期もあったんですけど」
「まあ、それが終わってね、チームを立ち上げて、Jリーグ クラブにもなって、もうサッカー選手を辞めて 次の人生に行け、そういうメッセージなのかなと、今は感じています」

たいへんなことを経験した 望月重良さんですが、今もチャレンジを続けています。
目標を持って、前へ前へと歩んでいるのでした。
病気を受け容れ、意味を見出し、人生を歩んでいる。
特発性大腿骨頭壊死症を公表している人は、他にもいます。
坂口憲二さん : 俳優を引退。自家焙煎にこだわったコーヒー専門店「The Rising Sun Coffee」を開店している。
西浦颯大さん : オリックス・バファローズの選手でしたが、2021年に引退。(大腿骨頭掻爬手術を受けている)
美空ひばりさん、ケツメイシの Ryoji さんも、公表している。
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